イタリア料理のシェフが車で全州をぶらり旅したイタリア旅行記です。
イタリア旅行、ローマ、ペルージャ、キャンティー、ピサ、ボローニャ、ベニス 編

Viaggio


イタリア紀行文やシェフの独り言を話します


イタリア イタリア イタリア イタリア
現役のコックが直接教える実習のイタリア料理教室(東京都世田谷)を覗く!





2010年10月 車の旅2,000km, シチリアから車ごとフェリーで渡りローマまでの旅
da Roma a Sicilia 10, 2010

2010年5月 フランス、イタリアの旅 車で2,000kmの旅
フランス国内を車で1,000km + イタリア1,000km
da Aosta , Francia , Milano 5, 2010

2010年5月 ミラノ〜チロル地方 北イタリア一週の旅 車で2,500kmの旅
da Milano , Venezia , Grappa 5, 2010

2009年10月 シチリア〜アマトリーチェまで 車とフェリーの旅 車で2,200km
da Roma a Sicilia 10, 2009

2009年10月 ローマ〜レッチェまでの南イタリア一週の旅 車で1,700kmの旅
da Roma a Napoli , Alberobello , Lecce 10, 2009

2008年11月の間 ローマから南下して南イタリア一週の旅 車で2,300kmの旅
da Roma a Sicilia 11, 2008

2008年10月の間 ローマ〜中部イタリアの旅 車で1,200kmの旅
da Roma a Toscana 10, 2008

2008年5月〜6月の間 サルデェーニャ島とサンマリノ国の旅 
da Roma,sardegna jungno 2008

2005年4月に2週間ベニスからサンマリ経由ミラノまで車の旅 2000km
da Roma,venezia,s.marino,lucca,ge'nova,asti,a milano aprile 2005

2004年8月に2週間ローマから南下してシチリアの友人のレストランまで車の旅 2000km

2004年1月に2週間滞在日記 (シチリア島を車で1000km の旅) Sicilia, gennaio 2004

2003年8月に3週間滞在日記 (ベニス、アスティー、サンレモ、アオスタの1800km 車の旅)
da Venezia Asti Sanremo a Aosta, agasto 2003

2003年1月に2週間滞在日記 (ローマ〜ソッレント) da Roma a Napoli, gennaio 2003


Introduction



Viaggio Top



シェフのイタリア紀行文 (da Roma a Milano)



2005年4月に約2週間の旅です。

ローマに着き、その夜はトラステベレのレストランで食事を楽しみ
翌日ローマからベニスにフライト。そこからレンタカーにてトリエステ,グラッパ,トレント
ラベンナ,サンマリノ,フィレンツェ,ルッカ,ジェノバ,アスティ,ミラノにて終点です。

イタリアから帰国しました。
今回は3人旅です。車で約2,400km の旅をしました。

さて旅行記の記載を始めます。 今回は3人での旅です。
その前に、この旅行記で美味しかったレストランやホテル等の紹介は店名だけで住所の記載はしていません。
ヒントとして店の写真や周りの風景写真を記載しておきますので、近くに行ったら探してみて下さい。
成田発、アリタリア便ローマ着で出発です。
予定時刻より2時間遅れとのこと。しかたなく暫くアリタリアラウンジで時間までノンビリ待つ。
そろそろ2時間経つので下のフロアーに降り待っていると、なにやらザワザワとしてきた。
そしてなんと本日は機体の整備で飛びませんときた。ナンジャー?!
そして一度空港の外に出てバスを用意してありますので近郊のホテルで1泊して下さい。とのこと。
てなことで翌日のローマからベニスの便の時間変更とローマのホテルのキャンセル実務を済ませて外にでる。
この一度出国したのに数時間後に入国手続をして外に出たのですが、翌日これが思わない方向にでるとは
今の時点では想像がつかなかったのです。
そしてバス数台で浦安のベイサイドホテルに飛行機一台分の乗客が泊まることになったのです。
そしてホテル内のアリタリアの人に聞く。明日は間違いなく飛ぶんでしょうね?と
返事は今整備士が賢明に整備していますが明日にならないとハッキリしたことは言えません。ときた。
ちょと待てよと私の頭によぎる。
おいおい、一生懸命に修理した直後の飛行機に乗るのもリスクが大きいよなと。
そして就寝
朝だー!
予定時刻のバスに乗り成田に再び出発です。
そして出国手続をするために荷物検査の場所に。 しかし.....
突然検査官がある人を呼びなにやらヒソヒソ話をし始めた。
そして係官いわく、すみませんが、私の後に付いて来て下さいと言う。
仕方ないので付いていく事にする。 一斉に出国手続をする人達で一杯のゲートを私たちは.....
係官がすみません”この人達は先を急ぎますので列を空けてください。”と言いながら進んで行くのでした。
私は、皆の便と同じなはずなのに、先を急ぐってどういうことなんだろう?と考えながら付いて行くことにした。
そして地下の出国手続場所に移動。 ここも大混雑。 ところが......
出国手続のゲートを通らずに別なカウンターに行くのでした。
そして出国手続の管理官が言うのには、
”あなた方はまだコンピーター上では入国手続きが済んでなく日本にいないことになっています”と言う。
しかしパスポートには入国のスタンプがありますよ。と言うと同日に入国する場合はスタンプが違うのですときた。
同飛行機の搭乗者はツアー客ばかりで担当者が誘導してくれたのですが私たちはフリーでしたのでそのまま入国手続で
外に出てしまったのがいけなかったようです。出国手続の係官がアリタリアの人に怒っていました。
ちゃんと説明しておかないとダメですよ。これで2組目でしょう。
と言ったので私たちの前にも同じような人がいたんだと判明。

そして無事今日は定刻通り出発です。 ですが不安が1つ....。
この飛行機無理やり整備した飛行機なのか?本国から取り寄せた機体なのか? まっ落ちたらそこまでの運なのだろう。
ただ残念なのは、ローマのトラステベレのレストランに行く予定が行けなかったことが残念!!!!
そして無事にローマに到着。直ぐにベニス行きに乗り換えです。乗り継ぎ時間は1時間ちょっとです。間に合った。
と思いきや.....とんでもないことがまた起こるのでした。.....

飛行機から出て乗り継ぎ便に移動。
その時、私の頭の中には前回知り合ったトラステベレのレストランシェフと奥さん達のことを考えていたので
ついいつもの通りに何の疑問も無くローマで入国手続をとって乗り継ぎ便ではなく、空港の外に出てしまったのです。
そして、同行者から乗り継ぎ便でなく外に出ているよ。と言われ、ハッと気が付く。 やっちゃったー。
そう言えばトランジットの看板は左の通路を指していたけど、真直ぐ出口の方向で外にでちゃった。
そして、もっと大変なことに同行者の一人は、入国手続のスタンプを押さないまま空港から外に出ちゃたよ。
大変だー!!!
入国手続の話を元に戻ってしているとベニス便には乗り遅れてしまう。どうしょう?
まっとりあえずベニス便に乗ろうや。 それから考えよう。
慌ててローマの空港の入り口に向かう。 ここは出口なもので。
チケットを見せて空港内でチェックイン、荷物を預けてあと30分。
登場口には、成田から来た人たちの顔は1つも無い。皆ローマで降りたのだろう。
てな具合で、ようやく成田から無事にホットすることができたのです。
皆様もこんなことが起きないことを。 皆様は私のようにドジではないでしょうがね。
なんと成田からイタリアに着くまでに、こんなに長い文章になってしまいました。
これからが、ようやくイタリア旅行記の始まりです。
なんて思うでしょうがベニスにようやく到着してから、またもや大変な事態に陥るのでした。
 
今回の初めてのアドバイス...
ベニス空港から出ますとベニス本島に行くには、バスか電車かバポレット(船)があります。
一番便利なのはバポレットを使うのが便利でベニスぽっいでしょう。
空港から船乗り場までは7,8分も歩いてかからないでしょう。
そして船乗り場には、地元の人がのる定期便の少し汚い乗り合い船と水上ボート(観光局用)とがあります。
この観光客用のボートは早いのですが1船で(空港〜ベニス本島までの片道) ¥10,000 だそうです。
ちなみに私達は乗り合い船でベニス本島に向かうことにしました。(切符は船の上で買えます)
水上ボートは乗り合い船を猛スピードで追い越していきます。
お金にゆとりのある方はこちらをご利用してもいいかも。私達は地元の人に間切れてノンビリと本島を目指してゴー

そして目的の船着場で下船です。
バポレットを乗ったときは明るかったのですが、すでに陽は落ちて真っ暗です。
旅行カバンをひきずり今回唯一日本で予約しておいたホテルを探すことにする。
(いつもは行き当たりばったりのホテル探しですが、ここベニスは日本から予約しておいたほうが賢明でしょう)
一年中、世界中から観光客がたえない町ですので。
ようやく、目的のホテルの前に到着です。 ここまで成田から長かったー。 ホットです。しかーし....
ホテルのチェックインです。 今日から3泊の予定で予約をしています。とホテルの人に言う。
フロントの人が”おかしいなー、予約は入っていないけど”との思ってもいない返事が返ってくる。 
”もう一度チェックをして下さい”何度もチェックしたけどないぞー”
フロントマンがアレッ! 予約は先月だぞ。ときた。
インターネットの予約で私がどうやら間違って4月を3月として打った様子だ。
どうりで、とても安い宿泊代だった。サマータイム前の価格だったので安かった。
安かったのであわててクリックをしたようだ。
ちなみに1日違っただけでサマータイム価格は2〜3倍近くの料金となるホテルがほとんど。
やっちまっただー!
さて今夜は駅で泊まりかな? と思った瞬間。
フロントのお爺さんが”ちょっと待って。知り合いのホテルに空きがあるか電話してあげるからと言う”
そのホテルはこじんまりとした家族経営のホテル。 何件も電話をするが空きは無し。
10数件電話をしただろう。 そしてついに、あった。 空き部屋のホテルが
そしてそのお爺さんが値段の交渉をしてくれている。
電話を聞いていると、サマータイム前の安い値段での交渉をしてくれている模様だ。
そして価格交渉もしてくれて、このホテルを予約した価格でホテルを見つけてくれた。 大感謝だ。
そして今日泊まるホテルの道先を教えてもらい、このホテルに向かう。
今度ベニスにきたら、このお爺さんのホテルに必ず泊まると心に誓い次のホテルに向かう。
そして着いたのが写真のホテルです。 ここも家族経営の感じの良いホテル(ドゥエリオーネ)だ。ホテル、ドゥエリオーネ
チェックインの時に、2泊用意できますが残りの1泊は知り合いのホテルが空いているので、ここに移動できますか?
と聞かれる。いいですよ。と言ってようやく部屋に入ることができた。 色々なことがあった1日でした。
(後からベニスは2泊でトリエステからグラッパに向かう予定に変更したので知り合いのホテルの紹介は辞退することにした)
このホテルは ”ホテルドォージェ””ホテルドゥエレオーネ”と言います。
何度か紹介したベニス風景です。

リアルト橋 世界最古のカフェ、フローリアン
ベニスの市場風景 ベニスの市場風景 ベニスの市場風景 ベニスの市場風景
ため息橋の裏側を見たことがありますか?
ためいき橋 ためいき橋の裏側 ゴンドラからの風景
この下の写真がマルコポーロが生まれた家です。今は普通の家庭が住んでいます。
マルコポーロの生家
ゴンドラからの風景です。
ベニスの風景 ベネッツィアの風景 ゴンドラからの風景 ゴンドラ
ベニスでの最初の夜に出くわしたピッツェリーアです。 とても美味しく食べすぎました。
Abbiamo mangiato da morire.
ピッツェリーア ピッツェリーアの食事 ピッツェリーアの食事 このピッツェリーアの間向かえの店 このピッツェリアの近くの風景
ベニスは以前の旅行記で記載したものでこの変で失礼します。
今度のベニスはアルターナに上がってみたいな。

ベニスで2泊したのちにトリエステでランチをした後、グラッパ村で1泊の予定でベニスからレンタカーの旅がはじまりです。

イタリアの地図を見てベニスから右側の国境の町がトリエステです。 
またベニスの斜め上のオーストリア国境がトレントで手前にグラッパが位置しています。
トリエステの海 トリエステに向かう途中 トリエステの町並み トリエステの風景
いよいよトリエステに到着です。 車で高速道路を利用して1時間半。
トリエステの町は何処と無く隣の国の建物形式とイタリア形式の混ざった町模様。
お腹が空き、今日のランチは何件かのレストランの中より、ここに決定です。
このトリエステのイタリア語も少し違ったニュアンスがあるのかメニューも少し変わっていました。
ちなみに、このレストランでは、目で見るメニューはありませんでした。
今日のお薦めをイタリア語で話してくれます。英語は使えません。
そして、その中からチョイスをして本日のランチとあいなりました。
目の前が海なもので、お魚中心のメニューとお肉1品を注文。
料理方法は、全て塩コショーでレモンを掛けて食べるイタリア方式。
スカンピ(手長えび)とイカの美味しいこと。絶品。
子牛肉も美味しく、おかわり。ごっつぁんです。
そして地ワインを1本。 合わせて約3,000円で3人がお腹いっぱい。

お腹がいっぱいになったとこでグラッパに向かうことにする。
途中経過は省き。いよいよグラッパ村に。今日は一日雨模様。
グラッパの町は今やイタリア全土で作られているお酒のグラッパ発祥の町です。
この本物のグラッパを飲んだら日本で流通しているグラッパとは、まったく別物と感じますよ。
一度グラッパ村のグラッパをご賞味下さい。 感動です。
しかしグラッパに到着するや、半端ではない雨。一歩も車から外にでれない。
フロントガラスの先も見えない。
また、今度来るから先の町まで車を走らせることにしたのだ。ここまでは道に迷わずに来れた。
ちなみに皆様は、グラッパの手前が少し複雑な道ですのでご注意をして下さい。
グラッパの町標識 グラッパの先にある湖
この近辺の昔は、こんな景色をしていたそうです。 すごい景色です。 
この上の町がトレントで直ぐ近くはチロルです。
今日のディナーを食するレストランの前の道路標識 この近辺の昔の景色
そして今日のディナーの時間です。 
おしいそうな店を発見して食事時間です。 そして宿探し。
ここのレストランオーナーのおばちゃんに聞くことにする。 実はここも宿なのです。
でも今日は宿はダメ。 近所の宿に電話してあげるから待ってて! そして泊まれる所あったよ。
と言ってくれたのでホットして今日のディナーが思う存分食べられるぞー。と
本日のディナーを食するレストラン、ピッツェリーア 本日のディナーを食するレストラン、ピッツェリーア
お肉からピッツァからデザートまで満腹状態。
そしてここの地元の子供がいる家族との出会い。
地元の子と話しながら、食事をし、今日も満足。
ディナー ディナー ディナー ディナー
そして紹介された本日のお宿にご到着。
ここは一階がバールで地元の人が集まる場所。
中に入るや、おばちゃんが、さっき電話があった人かい?と聞く。
さっそく部屋に案内されて、今日も無事。
少ししてから下のバールで珈琲を飲みながら今度は主人のおじちゃんと話す。
バールの壁に懐かしい昔のイタリア貨幣のリラが一杯飾っているので日本のお金を説明して差し上げると大喜び。
ここの珈琲も独特の美味しさがある。 町の数だけ珈琲の数があると感じる夜でした。
ここは、イタリア語とドイツ語を話し、メニューには両方の言葉が書いてあるのです。
グーテンタークと書いてあるのかな? やはりこの町の言葉もイタリア語として少し変化した言葉と感じる夜でした。
ホテル ホテル ホテル ホテル
そしてトリエステの町に向かう。
旅行記が長くなるので短縮で進みます。
トリエステからまたまたベローナの町に。ベローナは、ロミオとジュリエットの町です。
前回の旅行記を参照
ベローナの町並み ベローナの風景 ベローナの景色 ベローナ
ベローナの町並み ベローナの町並み ジュリエットの家のベランダ ジュリエットの家の中の伝言板 ジュリエットの生家
ジュリエットの生家の近くにある裏道に入った所のレストランでランチです。
ジュリエットの家に行く手前の右側の小道を奥に入るとレストランがあります。
お肉料理とワインがとても美味しいです。

フィレンツェの街角風景です。
フィレンツェは前回の旅行記を参照

フィレンツェの中央市場 フィレンツェの中央市場のチーズ売り場 フィレンツェの中央市場の肉売り場 フィレンツェの中央市場の肉売り場 フィレンツェの中央市場の肉売り場

フィレンツェの風景 フィレンツェの風景 フィレンツェの風景 フィレンツェの風景 フィレンツェの風景

フィレンツェの風景 フィレンツェの風景
これは昔々、フィレンツェの町を救ったイノシシです。 この町の守り神としての象徴です。
このイノシシの鼻に触ると、もう一度フィレンツェに来れるとされているので皆が触り鼻だけピカピカです。
ローマのトレビの泉のフィレンツェ版てなところですかね。
フィレンツェは前回の旅行記を参照
フィレンツェの守り神
そしてピサの斜塔で有名なピサの町に移動することにする。
ご存知ですか? 傾いているのは斜塔だけではありません。隣の本殿も傾いているのです。
建築途中から傾きだしたので途中から真直ぐになるように微調整しながら作ったようで
建物の右側の天井と左側の天井の高さを違えて水平にしているようです。
そしてピサの斜塔も土台から頂上付近までは傾いているのですが
頂上付近から頂上までにかけて垂直に立っているように感じます。


ピサの斜塔の真下から空を見上げて下さい。 但し雲が動いている時にね。
目の錯覚で斜塔が自分に向かって倒れてくる感じがして、とても怖いですよ。異空間を感じますよ。
一度経験してみて下さい。 絶対にお薦めです。

そして友人のアオスタのレストランに向かって出発です。
アオスタまでは、また話す機会がありましたら話せたらと思いますので今回はアオスタまでの旅の記載はカットです。
何故って? この旅行記の文が長くなってしまいますのでね。

アオスタ近郊の町 モンブランの下の家 昔々のアオスタ近郊の町の風景
アオスタの友人のレストランの前にある今回も泊まるホテルです。
ここは毎回泊まるホテルでとても過し易いですのです。
前回の旅行記を参照
ようやく着いたカフェドボーグ
シェフに日本から持っていった日本酒と芋焼酎を渡して食事タイムでーす。
シェフいわく、”昨日と明日は店は休みなので今日来て良かったね”と言われてホットとする。グッドタイミング!
そしてシェフからのプレゼントのアオスタ地ワインの傑作を1本プレゼントされて美味しい食事の開始です。
去年は太っていたシェフが今年はスッキリと痩せていて驚く。
店のウェイトレスさんに太っていた彼の写真を見せると大笑いでうけまくりの彼女。
アオスタ傑作の地ワイン アオスタ料理 アオスタ料理 アオスタ料理 シェフと私の2ショット
会う人に会えたので、1夜かぎりのアオスタを旅だちアルバの山奥の郷土菓子を目指して出発です。 
この菓子はイタリア全土でこの山の中のお菓子やさんでしか食べられないのです。
この菓子については前回の旅行記を参照

アスティの町にあるレストランで昼食です。
ここのレストランは地元の人が利用する店で、ここもメニューがありません。
本日のお薦めを言ってくれた中からの注文です。
お肉料理が美味く、同じものをお替りして食べちゃいました。 場所の参考はアスティーの町外れのコープの前です。

この伝統菓子を買いに行く途中の町で1泊をすることにする。
それが山の中のほんとに小さな村です。 そしてまたまた、この地の郷土料理に巡り合うことになるのです。
下の写真で一番右は教会です。 この教会は後で事件が発生するのです。
アルバの山の中 アルバの山の中 アルバの山の中
そしてこの村でアグリトゥーリズモ(農園民宿とでも言うのかな)と出会うのです。
このアグリトゥーリズモで2006年6月に1ヶ月間近く農園生活をしようと考えることになるのです。
そしてこの宿に、ある事件が発生。緊急事態です。
アルバのアグリトゥーリズモ アルバのアグリトゥーリズモ
アグリトゥーリズモ アグリトゥーリズモ
アグリトゥーリズモ アグリトゥーリズモ アグリトゥーリズモ アグリトゥーリズモ
このアグリトゥーリズモに桜が満開でした。
そして村の中で1件しかないレストランで今日の夕食です。
店に入るとお爺さんが出てきてカフェかい?食事かい? と聞くのです。
食事をしたいのですが、と言うとそれじゃー1時間ほど後で来れるかい? とお爺さんが言う。 わかりましたと私。
そして再来、1時間後に食事の支度ができているのでした。
その食事がこれらです。
お爺ちゃんがウェイターでお婆ちゃんが中で料理を作ってくれているのです。
そして自分の家用に作った自家製のワインと自家製オリーブとお肉など全てが自分の家で取れた食材で料理なのです。
とっても満足な食事でした。 作り手の心のぬくもりが感じられる料理の原点としたものが感じられ勉強になりました。
アルバの山の中での食事 アルバの山の中での食事 アルバの山の中での食事 アルバの山の中での食事
店主のお爺さんと私の2ショット

アルバの山の中での食事 アルバの山の中での食事 アルバの山の中での食事 アルバの山の中での食事 アルバの山の中での食事
これがこのレストランの店内写真です。 とっても山のど真ん中に見えないでしょう。
アルバの山の中のレストラン アルバの山の中のレストラン
これが幻の郷土菓子です。 とっても美味しいですよ。
この菓子の為に山の中まできましたのです。
それも店は閉店しているのではないか。  どうしようか。
となりのバールで、わざわざ日本からこの菓子を買いに来たのですが隣の店が閉まっていてガッカリと話すと
そこの店主が俺に任せとけと言うではないか。いくつ欲しいんだ。1つか2つ欲しいと言うと
ちょっと待ってろ。 俺がお菓子やの店主を探してきてあげる。と言うではないか。
そして外で大声を出して歩き回るではないか。
でも出てこない。 あきらめた瞬間、2階のシャッターを開けて店主が顔を出してきた。
バールのおじちゃんがケーキ屋さんに話してくれて買い物に成功する。
そしてなにより作り方のレシピまでゲットです。 ラッキーの一言。
アルバの山の中のケーキ屋
実は、このアグリトゥーリズモに幽霊がいたのです。
さして上記の教会の写真にも心霊写真があったのです。
アルバの山の中での食事 この協会の写真は三枚撮って一枚は建物の左に赤線が入り、もう一枚は右側に赤線が入り、三枚目でようやくまともに撮れたのでした。
2006年9月にまたこのアグリトゥーリズモに行く予定ですが
この間手紙を書いたら、返事が来て内容は近くに引越しをしたそうです。
今度何故引越しをしたのか聞いてみようと思っています。 ひょっとしてそれは幽霊のせいかも?
アルバの山の中での食事 ここがアグリトゥーリズモの部屋で赤い線の右となりが幽霊が立っていた場所です。

そんなこんなでアルバの山奥から都会のミラノに向けて出発です。
ミラノの町は一方通行が多くてちょっと迷子。
なんと帰国後、イタリアのレンタカー会社から一通の手紙が送られてくる。
その内容はミラノにて"信号無視で車を走らせた"交通違反があった為にクレジットカードから1,000円引き落としましたとの記載がある。
考えてみるとミラノのドォーモの前の信号で黄色信号の際に右折したことしか頭に浮かばない。

ミラノでの記載はまた今度機会があるでしょうから色々な事件を記載します。
成田行きの飛行機に乗る時間まで半日近くあるもので少し遠出を企画する。
車で約1時間と少しの距離にあるスイス国境の近くのVarese バレーゼと言う町で昼食をしに行くことにしたのです。
そして町の一角に立っているお巡りさんに聞くことにする。 この近くで美味しいレストランはありますか?
彼は2件のレストランを教えてくれた。 1件は僕たちはあまり行かないが格式の高いレストランは何処どこにあるよ。
もう一件は良く僕たちが行くピッツェリーアは何処どこにあるよ。と言う。
結果、ピッツェリーアにすることにした。 そして注文、そうすると隣の人が君たちは日本人かと聞く。
そうだよ。と言うとウェイトレスを呼んでワインを頼みこのワインの料金は俺につけておけと言って私たちにおごってくれる。
気前のいい人だと思っていると厨房から日本人のコックさんがでてきて挨拶をするのでした。
隣のテーブルの親父さんはこの店で働く日本人と同国である私たちにおごってくれたようです。
でも今のイタリアにはかなりの日本人が行って働いているようです。
フレンツェの中央市場の中にも数年前にはいなかった日本の女性が数人バイトをして生活していました。
頑張れ日本人ってなところですかね。
下の写真はこのバレーゼの町角とピッツェリーの食事です。
イタリア イタリア イタリア

イタリア イタリア イタリア イタリア イタリア
こんな様子で日本に帰国です。 長くなりましたが今回の旅行記は終了です。
また今度の旅行記でお会いしましょう。 次回は1ヶ月間のイタリア滞在の予定ですので色々なことが起こるのでしょうかね?
こうご期待。
それではまた。

イタリア

イタリアの20州103県ある内、20州はすでに数周していますが県は残り40県弱です。
103県中、今回の訪問県数は6県。全ての県を回ったら今度は
まだ訪れたことの無い"市"と言う狭い範囲での訪問です。
いったい市の数はどの位でしょうか? この旅はいつ終わるのでしょうか?



他の旅行記を見る



consigliamo




Web-Site OPEN
11.11.2003